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【虐待】5歳の命を救うにはどうすればよかったのか

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このようなつぶやきをしたにも関わらず知ってしまった。チャンネルを変えても変えても報道しようとするので仕方なく見ることにした。気持ちがささくれだってイライラするとわかっているのに。

 

知人に2人目が生まれたとき、一人目の子供が手がつけられないほど言うことをきかなくなって困っていると聞いたことがあった。今まで自分に向けられていた愛情を二人目の子供に取られたような気持ちになり、気を引くために一人目がいろんな問題を起こすのだという。

 

今回のニュースで虐待された子供は連れ子だったという。新しいお父さんのとの間に子供が生まれたことで、とても寂しい気持ちになって、親の気をひこうとしたのではないだろうか。それがこの夫婦には手に負えなかったのかもしれない。

 

5歳の女の子は文字が書けたという。5歳で文字が書けるのはなかなか頑張っている。書ける子もいるけど、書けない子だっているし、見たところかなりしっかりした文章だった。頭が良かったのかもしれないが、意外とこの親は教育をしっかりとしようとしていたのではないか。

 

虐待する側がブレーキを踏めないのは、自分たちが行っていることは正義だと思っているからだ。子供が悪いことをしたからしつけをしただけ。それでも言うことをきかないから、しつけはエスカレートしていく。

正義の名のもとに行われることはいつだってタチが悪い。

 

児童相談所で2回も保護したのだという。それなのに命を救えなかったとして、世間では怒っている。なるほどうまくやる方法はあったかもしれない。

 

でも、5歳の子供からすれば相談所の知らないおっさんとおばさんよりも、虐待されるとしても、実の母親を選んでしまうんじゃないだろうか。

自ら母親の元にいることを望むのではないだろうか。

自分が悪い子だからお仕置きをされるわけで、自分がいい子にしていれば、きっと母親は自分を愛してくれると、小さな頭で考えるんじゃないだろうか。

前は怒られてしまったけど、今度こそ、今度こそうまくやる。ちゃんとやる。怒られないようにする。そんな決意があの文章からも感じられた。自分がしっかりしていたら、ママは怒らないし、むしろ優しい。そんなふうに思っていたかもしれない。

旦那にDVされている奥さんや、職場でパワハラを日常的にうけている人はみんな「自分が悪いんです」って言う。5歳の子もそんなふうに思っていたんじゃないだろうか。

児童相談所の職員は「ママに会いたい」って虐待されている子供に言われたときにどういう対応をとればよかったのだろう。

ママに会いたい。ママに会いたい。泣きがならそう訴えたのかどうかはわからない。

今回に限った話ではなくて、やっぱりいちばん大切なのは子供の一時的な保護なんかじゃなくて、ママへのメンタルケアなんじゃないかと思う。

 

追記:今回のケースでは家より施設が良いと子供が言っていたそうです。

 

 

 

 

 虐待の件数が増えているのかどうかはわからない。昔も変わらず虐待はあったけど、見つかった件数が少なかった可能性もあるので、昔とは単純な比較ができない。

ただ、それでも素人の俺が考えても気になることがいくつかある。

 

・核家族化がすすんでいる。

孤独なママは母などの協力者が身近に居ないことが多い。頼れる人もいないまま、子育てという人生で未経験のミッションを24時間体制でこなさないといけない。以前は夫婦どちらかの両親が一緒に暮らしていたことで、そんな孤独はなかった可能性がある。

 

・労働人口がたりない

共働きはすごく良いことだと思っている。働いている間は子供から離れることができるし、息抜きになる。保育園や幼稚園の先生と一緒に子育てができる。

何が問題かというと、労働人口が足りないせいで、旦那の労働時間が長くなって、専業主婦の奥さんの孤独度が増すことが問題だ。

子育てに自分が追い詰められているなと思ったらパートでもアルバイトでもいいから外で働くべきだと思う。

パート代が全部幼稚園に代に消えたとしても、イライラして子供のぶつけてしまうよりはずっといい。

イライラをはじめから子供にぶつけてやろうなんて考えている親はいない。彼らが八つ当たりを人前ではやらないことからも、それが良くないことだって認識はちゃんとあるんだ。

 

・地域のつながりの希薄化

俺は小さい一戸建ての家で育った。家の近所には似たような家が並んでいて、ひとつ歳上~ひとつ歳下まで綺麗に同年代の子供がそろっていた。子供だけで遊ぶし、奥さんどうしや、父親どうしも仲が良くて、困ったときに子供を預かったりして助け合っていたように思えた。

いまはマンションのような集合マンションが増えたし、地域の地蔵盆などのイベントにも参加者が減ってきている地域があると聞いたことがある。

大昔はきっとご近所どうしで助け合いをするような地縁のようなものもあったのだろう。

 

・価値観の多様化

人と話すのが面倒だと感じることがある。野球もサッカーも麻雀も競馬もなんにも興味が無い俺は、男性と話があわない。

俺は小説と映画とゲームと漫画と写真とお笑いと投資が好きなので、そういった好みをもっている人と話があう。クソインドア野郎で、女性の方が話があう場合が多いのだ。

話があわない人と一緒に時間を過ごすのは苦痛だ。

SNSであれば共通の趣味を持つ者同士が地域を超えてつながることができるので、リアルの世界で会話をするよりも遥かに楽しかったりする。

 

俺はこの価値観の多様化がリアルな世界での孤独化を押しすすめているように思えてならない。ウミウシに興奮する人もいれば、マンホールカードを集めるのに夢中な人もいる。非常にレアな趣味だと思う。でもそれはその人の輝くべき個性だし素晴らしい。

テレビが斜陽となり、WEB上の情報があふれかえると、万人共通のメディアが失われて共通の話題も減っていく。

現代人は自分の好きな趣味を追求できる権利を得る代わりに、孤独を引き受けたのではないだろうか。

 

 

孤独なママが追い詰められてやりたくもない虐待に及んだというのは自分でも書いていて、短絡的すぎると思う。今回のケースだと旦那もそろって虐待してたし。

でも実の母が守ってくれないなら、いったいどうすれば小さい命は生き延びることができたのか。謝っても許してくれないと言うのに。

社会の闇はたった一つの原因で起きているわけではなくて、様々な要因が複雑に絡み合っておきているのだろう。

孤独=虐待という図式が単純すぎるとしても、闇を払うために俺とかお前ができることと言ったら、たとえ外で悪いことをして遊んでいたとしても、家に帰れば温かい言葉を家族にかけて、献身的に家事育児に務めるほかはない。

 

虐待を防ぐためにママのケアが必要なんじゃなくて、孤独な人妻を一人でも救うことが俺たちの役割なんじゃないだろうか。

 

 

そんなわけで、これは世直しですから。

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最後まで読んでくれたお前らに伝えたいことがある。

俺みたいなクソ野郎にはなるな。

 

もうええわ