さて、前回の記事で俺がいかに仕事が出来ない人間だったかを書いたんだけど、今回は仕事人間にどうやって変貌していったかを書いてみたいと思う。
【転機はカラオケボックス】
仕事が出来ない人間だったけど、大学の単位をとるのが得意だった。
授業に出なかったけど、やたら知り合いがたくさんいたので、俺のところには学部を超えてあらゆる授業のノートが集まった。
商売できるほどだったと思う。
コミュ力のようなものは確かに当時からあったかもしれない。
そのコミュ力らしきものは就職面接でいかんなく発揮されて、俺は仕事が出来ないにも関わらず素晴らしい面接技術であっという間に内定をもらえた。
時は1999年で就職氷河期と呼ばれる時代だった。
仕事が出来ないにも関わらず大手企業に内定が決まってしまった俺はこのままではまずいと感じて、アルバイトに本気で取り組むことにした。
それがカラオケのオープニングスタッフだった。
これがよかった。
思うに、アルバイトにはマニュアルなんてほとんどなくてOJTが基本である。
入った時は誰でも新人で、一番下っ端なのだ。
この状況がすごく自分にとって面白くない状況だったのだろう。
下っ端だと仕事に対するモチベーションが上がらない。
ところがオープニングスタッフだと、みんな横並びにスタートなので、もともとは基本的なスペックは低くはない俺は横並びスタートならそこそこの能力を発揮することができた。
これはぜひ若い人に試してみていただきたい。
普通のアルバイトが続かない人もオープニングスタッフならいける。
あと、人間関係も作りやすい。
他のバイトの先輩は歳下でも先輩だけど、オープニングスタッフどうしならば歳上でも同期なんだ。
それからカラオケボックスで意識して取り組んだのが「人が嫌がる仕事をやる」ということだった。
トイレそうじにクレーム対応など、みんなが避ける仕事を率先してやる。
すると勝手に職場で一目置かれるようになってくる。誰も俺が仕事出来ない奴だなんて気付かないのだ。
むしろその嫌がる仕事の第一人者になっていって、頼られるようになってきた。
ちなみに大学の授業も俺は一番人気のない授業だけ熱心に出席して、完璧なノートをつくった。そのノートをみんなが欲しがったのでわらしべ長者的に他の授業のノートが集められるようになった。
種銭ならぬ、種ノート。
【某大手企業】
ここは結論から言うと、速攻でやめた。
今の嫁と付き合っていたんだけど、この大手企業の仕事が激務すぎるので、そんな風に家にほとんどいないような人と結婚できないと言って彼女の方から別れを告げてきた。
だったら会社辞めるわ
そう言って俺は嫁の方を選んだ。
新卒で入社し、3週間後のことだった。
人生最大の失敗である。
【某大手スーパー】
最大手のショッピングモールへ就職する。
入社3日後の研修で辞めることを決意。
本当にクソだった。
とにかく支配的で、社員の個性をいかにして殺すかを全力で考えている会社だった。
今にしても思えばそれがひとつのマネジメントの形だと理解できる。
少数のブレーンが考えたプランを忠実な兵隊が実行する。
それがこの会社のやり方だったのだろう。
3日で辞めることを決意するも最低1年は働かないと転職すらできない。
そう思って1年間は頑張ることにした。
結果1年半で転職をする。
この会社で学んだことは、いくら素晴らしいビジネスアイデアを思いついても、それを実行するには基本的なことができていないと相手にされないことを学んだ。
レジ打ちのスピードや品出しの正確性。
これらをパートのおばちゃんよりも上手にできないと、どれだけ頭の中に素晴らしいビジネスアイデアがあってもまともに話なんて聞いてもらえない。
下積み
これは最低限必要な時間的、労働的コストなのだ。
【某中小商社】
この会社が素晴らしかった。
いまでも感謝してる。
1年間下積みをやっただけで、本当に好き勝手仕事をさせてもらえた。
会社の方針は信賞必罰。
成績良ければ給料アップ。悪ければクビ。
ものすごくはっきりしていて、わかりやすかった。
そして、短期間とはいえ、大手企業を2社経験してから行くこの中小企業はライバルになるような人間はいなかった。
すぐ追い抜ける
先輩たちと話していて感じたことだ。
俺はこの時は下積みの重要性や、オープニングスタッフからのスタートならそこそこやれるという自信がついていたので一緒に入った3人の中で一番頑張った。もちろん嫌がる仕事を率先してやった。
狙い通り評価がついてきて、いきなり大きな仕事を3年目でまかされるようになった。
会社のお金を使って、俺はマーケティングの小さい実験を繰り返し、うまくいった事案だけを大きく広げさらに数字を伸ばして行く。
頭の中には会社のお金で得た知識とノウハウが蓄積されていく。
新規開拓の練習も密かにその頃おこなった。
先輩方は会社の愚痴を言うだけで、俺以外誰も新規開拓をしようという人間がいなかった。
そんな状況だから社長は俺の動きがさぞかしうれしかったことと思う。
だけど、先輩からは妬まれた。目立ちすぎたのだ。
8年間の間に、新規開拓の練習をし、マーケティングノウハウを蓄積し、人脈もできた。
そして俺は満を辞してそのお世話になった会社を裏切って、全く同じ業態の新会社を今の社長と立ち上げた。
また別の機会で書くけれど、先に俺を裏切ったのは元いた会社の方なのだ。
6時間引き止めの説得をされたけど、入院先まで電話してきて、営業に行かせようとしたことがある会社には長くいられない。怒り狂って物を投げつけられたこともある。他にも言い出したらキリがない。
でも。
いまならわかる。
俺が入院してようと、俺の給料は発生してる。
本気で入院先から営業へ行かせようとしたんじゃないだろう。
プロ意識を持たせようと圧力をかけてきたのだ。
前の会社がクソみたいな会社でよかった。
俺がやめたあと労基が入ったらしい。
月に100時間残業してたけど、残業代をあとから請求したりはしなかった。
それよりもライバル企業となって立ちはだかる方が復讐の手としてはスマートだ。
あの会社には本当に感謝してる。
クソだけど、俺を鍛えてくれてありがとう。
もうええわ
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